アトリエ派&大規模修繕のアーキノヴァ設計工房>フランス・イギリス研修旅行記(南フランス「コートダジュール」・リヨン・パリ・ロンドン建築巡礼の旅)
旅行日記
フランス・イギリス研修旅行記
(南フランス「コートダジュール」・リヨン・パリ・ロンドン建築巡礼の旅)
潟Aーキノヴァ設計工房 代表取締役 柏本 保

去る2022年9月15日から9月25日までの10日間、3年振りにコロナ禍のため行けなかったヨーロッパ研修「フランス(コートダジュール地方・リヨン・パリ)、イギリス(ロンドン)」の建築巡礼の旅に行ってきました。“建築好き父子の珍道中”第4弾『ヨーロッパ・建築巡礼の旅』です。

今回も旅行前に、東京に勤務している息子の関西出張時に合わせ、何度も旅程の討議を重ねた結果、南フランス(コートダジュール地方)6か所、リヨン、パリ、ロンドンの9か所を巡るハードな旅程となりました。今回の研修の目玉は、ル・コルビュジエ設計の「ラ・トゥーレット修道院」、及び建築家に評価の高い「ル・トロネ修道院」の見学です。

 9月15日の出発当日の朝、いきなりハプニングがありました。当初予定していたフランクフルトから、南フランス・ニースへの乗り継ぎの飛行機がストで欠航になると旅行社から連絡がありました。急遽、別便を探してもらい、フランクフルトからニースへ行く便が少ない状況でしたが、何とか5時間程度後の便が一便見つかりました。当初予定では9月16日の朝10時にニースへの到着予定でしたが、フランクフルトからの搭乗が2時間も遅れ、結局到着が午後5時30分になり、日本を出発してから27時間程度費やして、ようやくたどり着くことができました。

 9月16日(2日目)は、事前に予約しておいた現地の日本人ドライバーによる、朝9時から夕方5時までの2人だけの貸し切り“ミニツアー”です。コストがかなり高くつきましたが、効率良く一日で5か所の街を巡ることができ、結果的に大正解でした。

まずは、「ル・トロネ修道院」。ニースから約100q離れたプロヴァンス地方・ヴァールの山中にあり、キリスト教・シトー派の修道士達が、12世紀後半から手作りで完成させたロマネスク建築です。素朴でありながら、ル・コルビュジエを始め多くの巨匠を引き付けた不思議な魅力を備えた建物です。内部の密実に積み上げた黄褐色の石や、それが育む影と光の対比が独特の美しさを醸し出しています。


ル・トロネ修道院

次にトゥレットシュル・ルー。曲がりくねった山道を上がると通称“鷲の巣”が現れます。岩山の上に古い石づくりの家がひしめき合う村の姿は、中世の頃からほとんど手つかずのままのように思えます。狭い道には数々の工芸家がアトリエを構えおり、居心地の良い、統一感のある色彩の鮮やかな壁面の街並みがとても美しいです。

それから、画家のマティスが1948年から3年以上の歳月をかけて内部の装飾にかかわった「ロザリオ礼拝堂」のあるヴァンスに向かいました。礼拝堂の中へと入ると、南フランスらしい色彩と光溢れる空間が迎えてくれます。空のマリンブルー、植物のモスグリーン、光のレモンイエロー、3色で構成されたステンドグラスが礼拝堂の空間にうまく溶け込み、時間の経過に伴い光が微妙に変化、マティスの素朴な白と黒だけの壁一面のキリストの宗教画とマッチしています。彼が丹精込めてかかわった、温かみの感じ取れる内部空間です。


ロザリオ礼拝堂

次にサン・ポール・ド・ヴァンス。コートダジュールに数多くある中世の建物の村の中でも特に美しい村であり、モディリアーニ、ボナールを始め多くの画家を惹きつけました。
当日は観光客でごった返しており、“コロナ禍”どこ吹く風?の雰囲気でした。
その後、本日最後の研修地「ピカソ美術館」のあるアンティーブに向かいましたが、アンティーブに到着した時すでに午後5時。ツアーの時間延長をお願いしました。1946年、戦時中のスペインを離れ、アンティーブを訪れたパブロ・ピカソは晩年の約30年をコートダジュールで過ごし、この地で制作活動に励みました。当時の絵画や陶器作品が数多く残されており、この地の城が今のピカソ美術館となっています。彼の制作にかかわる在りし日の写真がふんだんに展示されています。


ピカソ美術館


9月17日(3日目)はニースの市街地研修です。まずは早朝、海岸に沿った全長3.5 qのプロムナード・デ・サングレに向かいました。紺碧の海岸沿いには道路を隔てて豪華なホテルが立ち並ぶコートダジュール地方屈指の海岸遊歩道です。

海岸沿いの沿道は、散歩する人、ジョギングする人、椅子に座って海を眺めている人など様々ですが早朝の海岸は静かで波の音が耳に心地良く、時間がゆったりと流れるリゾート気分をそれぞれ満喫しています。海岸沿いを東に向かうと高級リゾート地とはうらはらに、海岸と新市街地に囲まれた一角の旧市街地は、毎日朝市や花市や立つ“サレヤ広場”を中心にカフェやレストランがひしめき合い、朝から賑わいをみせています。


ニース海岸


“サレヤ広場”から東に移動。かなり距離はありましたが、徒歩で“ニース城跡”のある丘(キャッスルヒル)に登りました。丘の上からは、右にパステルと赤茶色の家並みが立ち並ぶ旧市街地、左は紺碧の海が広がり、地中海ならではのロケーションを楽しめます。その後、ニースのメインストリート“ジャン・メドサン通り”を通過し、小高い丘の上の「マルク・シャガール美術館」に移動しました。シャガールの絵は、画面いっぱいに広がる暖かな光を宿したような赤、柔らかな青や黄色の配色、抒情的な構図が特徴。しかし、やさしさに満ちたキリストをモチーフにした構図からはそこはかとなく浮かびあがる悲哀が感じられるようでもあります。数多くのシャガール作品を満喫することができました。

本日の研修はこれで終了。翌日「ラトゥーレット修道院」見学に行くため、ニース・コートダジュール空港から、パリ、マルセイユに次ぐフランス第3の都市リヨンに向かいました。この日は全て徒歩での移動。さすがに少々疲れました。


マルセ広場


9月19日(4日目)はいよいよ待ちに待った「ラトゥーレット修道院」の研修です。 早朝、リヨン・パールデュー駅を出発し、約40分で最寄りラルブレル駅に到着。エブーという町の丘の上の森に向かい約30分移動。「ラトゥーレット修道院」にたどり着きました。

ル・コルビュジエ設計のカトリックのドミニコ会の修道院ですが、丘の斜面に沿うように立つ外観は、垂直と水平だけの矩形としてデザインされた斜面を利用した力強い建築です。

窓枠デザイン“オンデュラトワール”が美しい影を描いているのが印象的で、極めてアーティスティックで彫刻的なファサードは、写真で見るより迫力があります。建物の竣工は1960年ですが、やはりコルビュジエの代表作でその4年前に竣工した「ロンシャン礼拝堂」と同じく、芸術に憧憬の深いクチュリエ神父からの依頼でした。 残念ながら内部の見学は日曜日のみに限られることから今回はかないませんでしたが、再度内部見学に来たい思いに駆られました。


ラトゥーレット修道院


午後リヨンに戻り、市街地の観光です。ソーヌ川とローヌ河が街を縫って走り、この2つに川の中州が、活気溢れる街の中心街・新市街です。新市街の中心地“ベルクール広場”周辺を巡り、ソーヌ川西の小高い旧市街にケーブルカーで向かいました。フルヴィエールの丘から眺める景色が秀逸です。残念ながら夕方パリに移動しなければならず、リヨンは短時間の滞在となりました。

9月20日(5日目)パリ研修1日目です。パリは4年前に1週間程度滞在したので、今回は前回行けなかった場所を中心に巡る2日間の滞在です。

 まずは午前中、モーリス・ユトリロが住み、数多くの作品を残したモンマルトルを再度訪れ、実際に彼の描いた構図の街角を巡りました。モンマルトルはユトリロの他にも多くに芸術家たちに愛された場所であり、19世紀半ばにはゴッホやピカソも住んでいました。

“パリの田舎町”と言われたこの地区は「サクレ・クール聖堂」へと続く長い階段、狭く入り組んだ路地、どこを切りとっても絵になる場所です。

 ムーラン・ド・ラ・ギャレット、ノルヴァン通り、テルトル広場、モンスニ通り、キュスティヌ通り、コタン小路等を巡りユトリロの絵画と見比べました。100年以上経過した今も当時の面影が残っており、ノスタルジックな風景を思う存分楽しみました。


ムーラン・ド・ラ・ギャレット


次に、パリでの宿泊地・モンパルナスに戻り、フランスを代表する建築家ジャン・ヌーヴェルの初期の代表作「アラブ世界研究所」を見学しました。

ファサードは、アラブ建築の窓飾りから着想を得たデザインが採用され、カメラの絞りのような仕掛けを持った多数のアルミパネルが組み込まれており、日差しの強弱によりこの仕掛けが開閉します。迫力ある美しさは感動的です。
 次に、シテ島北側の“マレ地区”に移動。主に15世紀に建設された古民家を巡りました。まずは現在図書館として利用されている「サンス館」を見学。次に「城壁(リセ・シャルルマーニュ)、切り妻屋根の「パール通りの木造民家」及び「フランソワ=ミロン通りの木造民家」を見学しました。両建物共少し傾いていますが、時代を超えた存在感があります。


アラブ世界研究所


この日は、19時40分開演のシャンゼリゼ通りの近くにあるナイトクラブ“クレージーホース”のショーの鑑賞予約をしていますが、開演までたっぷり時間があるので、4年前にすでに巡った場所を順次訪問、近くにある壮麗な「パリ市庁舎」、レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャース設計の奇抜な配管むき出しの「ホンピドーセンター」を見学し、徒歩でルーブル美術館、コンコルド広場を経由して、シャンゼリゼ大通りに向かいました。

シャンゼリゼ大通りは相変わらずゴージャスで、観光客で大賑わいです。予定通り華やかなで妖艶な“クレージーホース”のショーを楽しみました。

 9月21日(6日目)。まずは、ホテルから徒歩でジャン:ヌーヴェル設計の「カルティエ現代美術財団」に向かいました。ガラス貼りの建物本体とは別に、大通りに面して高さ約8mのガラスの壁面が聳えています。その前の歩道に立つ木と建物本体と、歩道側のガラスの壁との間に立つ敷地内の樹木がガラス面に映り込み、重なり混じりあってガラスに映る映像の木と実物の木の区別がつきにくい不思議な仕掛けがあり、建物の前を通行する人々に安らぎを与える建物です。

 続いて、「クリュニー中世美術館」に向かいました。15世紀にローマの大衆浴場跡に建設された修道院の宿舎でゴシックとルネサンス様式の融合した建物。1842年に美術館となり、絵画・彫刻・ステンドグラス・宝飾品・家具があふれています。中庭にたたずむとパリの“カルチェラタン”の喧騒の中にあって、静寂と神聖な空気が味わえ、しばし、中世にタイムスリップした気分に浸れます。


パリ市庁舎


それから徒歩で「サン=ティエンヌ=デュモン教会」に向かいました。これにはわけがあります。ウディ・アレン監督の2011年のアカデミー賞に輝いた“ミッドナイトインパリ”という映画で、アメリカの作家志望の主人公が憧れの100年前のパリにタイムスリップし、ヘミングウエイ、ピカソ、ジャン・コクトー、ダリ等に出会い、話が展開するストーリーで、午前0時にこの教会の階段前に待っていると迎えの車が来る設定の場所です。

ウイットに富んだ優れものの映画で、パリを再度訪れたら、この場所に行きたい思いがありました。映画の中の場面に出てくるオランジュリー美術館、セーヌ川、アレクサンドル3世橋等を訪れ、映画の場面をたどりました。


クリュニー中世美術館


その後、17時にパリからの直通列車“ユーロスター”でロンドンに行かなければならないので、急いでパリ北駅に向かいました。

 9月22日(7日目)この日は私の誕生日。初めて訪れるイギリス・ロンドンです。
ロンドンの滞在は3日間。初日は主にテムズ川周辺のロンドン主要部の研修に始まり、9箇所を巡るハードスケジュールです。

最初にエリザベス女王がご逝去された直後でもあることから、敬意を表して「バッキンガム宮殿」に向かいました。この建物は1703年にバッキンガム公の私邸として建てられましたが、後に王室が買い上げ、1837年に公邸となりました。早朝にも関わらず多くの人びとが訪れておりました。

次に世界的な美術館の一つ「テートブリテン」に向かいました。ここは、1987年に「ナショナル・ギャラリー」の分室として設立されました。16世紀から現在までのイギリス美術の一大コレクションを有し、近代美術を中心に様々な特別展が開かれていますが、この日の目当ては人気が高いラファエル前派のミレイの“オフィーリア”。「ハムレット」の中の自殺したオフェリアが小川に浮かぶ悲劇的シーンを描いたもので、そのリアルで写実的な美しい絵画を楽しみにしていたのですが、貸し出し中のため見ることがかないませんでした。


バッキンガム宮殿


それから9月19日に故エリザベス女王の国葬が執り行われた「ウエストミンスター寺院」を訪れました。この教会は王室の教会であり、国内の催事や特別な式典が行われ、イギリス王室の戴冠式や結婚式、葬儀等も行われています。ここで、故エリザベスの葬儀が3日前に行われたばかりで、まだまだ大勢の一般人の弔問の参列者が絶えない状況でした。

 次にビッグベン&国会議事堂に向かいましたが、この地区“ウエストミンスター”はイギルスの行政の心臓部であり、日本でいえば、「永田町、霞が関」の地区です。世界の模範となる議会政治が生まれた所であり、ゴシック様式の風格あるその姿は壮麗です。

 その後“シティー地区”に移動しました。最初にミレニアムの記念に2000年に完成した「ミレニアムブリッジ」を渡り、「テートモダン」を訪れました。この建物は、20世紀以降の現在アートにテーマを絞った美術館です。旧火力発電所をスイスの建築家ヘルツォーク&ドムーロンが改築。昔ながらのレンガ造りの外観を残しながら、内部は吹き抜けを効果的に利用した大空間となっており、新旧の組み合わせが絶妙で、まさしくリノベーションの成功例です。

次に「タワーブリッジ」を渡り、「ロンドン市庁舎」へ。「タワーブリッジ」は1894年に完成しましたが、テムズ川を往来する船の大型化に伴い、必要な時に上げ下ろしできる跳ね橋となっています。ヴィクトリア朝様式の優雅さに溢れる二つの塔に青と白の橋げたのコントラストの“おとぎの国”から抜け出たような外観の橋です。

「ロンドン市庁舎」はノーマン・フォスターの設計。バイクのヘルメット、いびつな卵等の愛称で呼ばれており、球根のような形のガラス張りの建物は、同じ床面積の四角いビルに比べ、25%も表面積が少なくなり、光熱費を抑えることが可能になり、さらに南に傾けた形が直射日光が入りにくい構造になっている等、外観のユニークさもさることながら様々な工夫が凝らされています。


テートモダン


9月23日(8日目)最初の見学地は、今回の研修旅行の目的の一つでもある、ザハ・ハディド設計の建物の見学です。目指す「アクア・ティクスセンター」は、2012年開催のロンドンオリンピックのメイン会場の一つで、比較的郊外に位置します。“デザインコンセプト”は、水の動きが示す流動的な形状から着想を得たもので、オリンピックの川のあるランドスケープと共鳴しあう空間を創り出す事を主眼とした形状です。現在も競泳用プールとして使用されていますが、ザハ・ハディドならではの3次元の曲面のデザインは圧倒的な存在感があります。

次に都心に移動し、リチャード・ロジャース設計の「ロイズ・オブ・ロンドン」の見学に向かいました。この建物は、同じく彼の設計でパリにある「ホンピドゥーセンター」の兄弟版の建物です。この建物も通常は内部に隠れる金属製のダクトや配管を外部にむき出しており、石造りの重厚な建築群が軒を連ねる金融街において、一見奇怪な建物ですがひときわ目立っています。続いて、「セント・ポール大堂」。“シティ”にあるイングランド国教会ロンドン教区の主教座聖堂。1666年の大火災の後、再建されました。「ルネサンス・バロック様式」で、大ドームの高さが111mあり、かつてこの地区ではこの高さを超えてはならない不文律があったそうです。

次に「サー・ジョン・ソーンズ美術館」に向かいましたが、ここ数日、連日15〜16q歩き詰めで、この頃には“足の豆”の痛みとの格闘。足を引きずりながら、よたよた歩き状態です。美術館は、ジョン・ソーンズ卿が自ら設計したスタジオ兼住宅を公開した建物で、彼が収集したおびただしいオブジェ、彫刻、絵画が過剰な密度で展示されています。

 その後、「大英博物館」に移動。この博物館は、古今東西の文化遺産を集めた世界一の規模を誇るミュージアムです。時代的には石器時代から近代までの遺産、エリア的にもヨーロッパ、中近東、アフリカ、西アジア、インド、中国等世界中の国々の遺産を展示しています。その数8万点と言われています。私は足の痛みに耐えかね小休止。その間街のドラックストアで買った薬で手当てしました。

その後、本日最後の見学地“ハイドパーク”内にある「サーペンタインギャラリー」に向かいました。この公園は面積約140万u、日比谷公園の約9倍の広さです。ここでは、“サーペンタイン・パビリオン”という企画があり、世界の一流建築家がその一角に仮設建築を建てる企画です。その日はアメリカ人アーティス、シアスター・ゲイツ設計の「ブラック・チャペル」が建っていました。また、近くにあるザハ・ハディド設計の流線型のデザインで躍動感のある「ザ・マガジン」というカフェを見学しました。


アクア・ティクスセンター


9月24日(9日目)いよいよ今回研修旅行の最終日です。昨日、街のドラックストアで購入した店主お薦めの軟膏の効果てきめん、足の指の痛みもほぼ回復しました。

最初に一度は行きたいと思っていた、ビートルズの聖地「アビー・ロード」に向かいました。1969年「アビー・ロードスタジオ」を背景に、ビートルズのメンバー4人が横断歩道を渡る姿が撮影され、これがアルバム『アビー・ロード』のジャケットとなり一躍有名な場所となりました。今でも世界各国から多くのファンがやって来ます。この日も早朝にもかかわらず、多くの老若男女が、横断歩道を渡り、その姿を撮影しています。我々も御多分に漏れず撮影。近くの“ビートルズ・グッズショップ”もわくわくしながら楽しみました。

それから、ロンドンの中心地“ウエストミンスター”地区の、日本でいえば銀座通りに当たる「リージェント・ストリート」に向かいました。ロンドン有数のショッピング街です。

ここ数日建物・美術館巡りで強硬スケジュールをこなしたので、少しゆったり気分でウインドウショッピング、食事を楽しみました。また、「リージェント・ストリート」の近くでビートルズが屋上で“ライブ”を行った「旧アップルビル」も訪れることができ、感無量でした。

いよいよ研修旅行も終わりに近づきましたが、最後に訪れたのは「ナショナル・ギャラリー」。「トラファルガー広場」の北側にコリント式列柱の巨大は玄関を持つ全長140mの迫力ある建物です。展示品数は約2万点、世界最大の美術館に数えられます。

フロアは4つのゾーンに描かれた作品順に区分していますが、今回は時間の都合上、印象派の絵画をメインに鑑賞しました。ここではファン・ゴッホの7つの“ひまわり”の内、最も有名な作品を見ることができ、数多くの名画を十二分に堪能しました。

今回は、今まで以上にハードな研修旅行でしたが、3年振りの充実した旅となりました。


アビー・ロードの横断歩道 
このページのトップへ
ご挨拶設計理念事業内容会社概要プロフィールリンク集